夏期講習を終えて
- shinpujyuku
- 2024年8月26日
- 読了時間: 3分
先の記事にも書いたように、怒涛の夏休みが終わった。
例年のことながら、分刻みのタイムスケジュールの中、よくやり切ったと自負する。
夜11時ごろに教室を閉め、そこから遅い夜ご飯を食べ、片付けをしてから次の日の準備をしている間、気付けば椅子に座ったまま眠ってしまっていることが連日続いていた。
今はやっとゆっくりお昼ご飯を食べられることにすら大きな喜びを覚えている。
この夏もみんな部活や旅行を大いに満喫したとのこと。
その合間を縫って自学・授業のためにここに来ては、
「旅行で○○に行ってきました。」
と語り、お土産をいただくことも数え切れないほど。
(ダイエット中の)自分一人では到底食べ切れる量ではないので、
「僕も1ついただくけど、残りはみんなに配っても良い?」
と聞くことにしている。
「部活の大会で○○まで遠征しました。」
「オープンキャンパスに行ってきました。」
などの報告も多かったかな。
そういう話にはじっくりと耳を傾け、僕自身も自然と喜怒哀楽を共にしている。
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夏期講習はふだんよりも時間の束縛が大きい。
長時間集中力が続くとも限らないのに、受験を間近に控えていないような小学生や、既習範囲がそれほどない中一のうちから夏期講習を「受けさせる」必要があるのだろうかと心底疑問に思う。
夏休みというのは学生の特権である。
中には部活に精を出したい子もいるだろう。
旅行に行きたい子だっている。
学校の課題の量だって一人ひとり異なる。
そんな子たちにとっては、平時と同じスケジュールで勉強し、二学期からの勉強にスムーズに入っていくことこそがもっとも重要だと考える。
受験を控えていない学年に対しても同じように「夏期講習」と銘打つことで特別感を出し、塾側が「ぜひ受けてください。」と雄弁を振るうのは、利益の追求が最たる目的になっていないだろうか。
「とりあえず受けさせておこう。」と安易に考えるのは、親御さん自身の「安心したい。」という気持ちが勝ってしまってはいないだろうか。
みんながカッチリと一つの枠に嵌められてしまうような集団塾の中では必ず矛盾が生じる。
その枠に嵌まらない子はその仕組みから脱落するか、そこに埋もれてしまうか、ズルをして抜け道を見つけるか。
それは僕の目指すべき理想とは大きくかけ離れている。
すべては本人の意志。
これに尽きる。
夏期講習なるものは、本当にそれを必要とし、受けたい子だけが受ければ良いのである。
ここでは夏期講習やその他の授業を含め、こちらから受けるように仕向けるのではなく、必ず一人ひとりの要望を聞くことにしている。
一人ひとりに個性があり、考えがある。
課題の量を自分で決めることも含め、一人ひとりが「主役」になれるような塾が理想ではないか。
その大義のためなら、僕一人がいくら忙しくなろうがかまわないし、むしろ本望である。