5月2日
- shinpujyuku
- 2023年5月3日
- 読了時間: 2分

「高校生活最後の大舞台だから、よかったら見に来て。」
と誘われ、生徒の部活の演奏会へ。
昨日から乗り出したバイクでの初プチ遠出でした。
(撮り方がめちゃくちゃ下手ですが、ちゃんとカッコイイです。)
当たり前かもしれないが、今までの原付と違って、スイスイ走れることに感動。
ただ、誤って目的地をかなり通り過ぎてしまい、5分ほど遅刻。
幸い演奏会はまだ始まっていませんでした。
会場にはすでに多くの観客がいて、僕は少しだけ空きのあった最前列へ。
幕が開くと、そこには見たことのない弦楽器が並んでいました。
それを見事に弾きこなす生徒さんたち。
その美しいメロディーに合わせ、いつのまにか僕も身体を揺らしていました。
途中、ふとこんなことが浮かんできました。
「この子たちは、自分の知らないコミュニティーの中で、後輩・同級生・先輩や先生方と協力し、時にぶつかり合いながら、日々過ごしている。
その経験は誰でもないその子自身の一部でありながら、こちらはその苦楽を知らずして、また知る由もなく、その子と向き合っているんだ。」と。
そう考えた時、「一人ひとりに合わせた授業の限界」が垣間見えた気がしました。
一人ひとりの能力や日々の時間的・心理的余裕にいたるまで、全て知る由などないのだから、「完全にその子に合わせた授業」なるものは不可能だと。
20代の時は理想ばかりを追い求めていましたが、ある程度の妥協は致し方ないのだと。
そして気付けば閉幕の時。
部長である彼女は、今までの辛かったことや楽しかったことがさまざま思い出されると語り、そして終わりは部への感謝の言葉で締め括られていました。
それは間違いなく彼女自身のリアルな言葉だと感じたし、親御さんはそれを聞いて泣いておられました。
繰り返しになりますが、一人ひとりの人生にはそれぞれ異なるストーリーがあって、その中で僕は100%とはいかずとも、できる限りの勉強のお手伝いをさせてもらう。
そうするしかないように思います。
いろいろな意味で、僕にとって貴重な一日となりました。