勉強における友達の存在
- shinpujyuku
- 3月25日
- 読了時間: 2分
昔こういうタイトルの映画があった気がする。
「僕は友達が少ない」
こう書くと根暗な人間だと思われそうだが、僕の友達は何かしら専門的な分野に精通していて、それを好きこのんでやっている人たちばかりである。
そういう人たちと話していると僕も熱くなれるし、何よりも楽しい。
そういった狭く深い友達関係を続けている。
授業は先生から受けるもの、自学は一人でおこなうものである。
そこに友達が介在する余地はない。
だから「〇〇(場所)で/LINE上で友達と一緒に勉強していました。」というのが昔から僕にはわからない。
わからない問題があればもっと専門的な人(=先生)に聞けばいいし、友達と一緒に自学をすることで勉強への集中度・理解度が落ちてしまうだけだと考える。
(繰り返しになるが、自学とは「自分で学ぶこと」だ。)
ただ、だからと言って「勉強に友達なんて必要ない。」などという考えは微塵もない。
自分より成績が良い人を目標としたり、自分の苦手教科・分野を得意とする友達をリスペクトし、その人の話を傾聴したりするのはとても大切だと考える。
もしも勉強法等についてその友達に聞きたければ、勉強時間外におこなえば良いだけの話だ。
・自習室では私語をしない。
・教室では勉強に関する発言のみをする。
・世間話は建物外でおこなう。
上に書いたようなことが当塾の生徒たちの間では当たり前になっている。
「この塾ではこうしてくださいね!」と前もって言ったことはないし、皆この塾で勉強しているうちにおのずと「ここではそうするのが良いんだ。」と理解し、実行してくれている。
僕としても大いに助かっている。
それどころか、そもそもここに入塾してくる時点で「ここに友達の○○君/ちゃんがいるから良い目標になる。」と仰る方はいても、「ここに友達の○○君/ちゃんがいるから楽しそう。」と仰る方は滅多にいない。
もはやこの少人数塾の門を叩く前から、「ここは勉強だけをする場所だ。」と察してくれている気さえするのだ。
今はちょうど当塾の懇談の期間で、今日は丸1年習ってくれている小学生の親御さんとお話しした。
そのお子さんは当塾内に友達がいなくても全然平気で、ふだんから自分の意見をはっきりと言い、たびたび質問にも来る。
普段からあまり褒めない僕が、
「お子さんの勉強姿勢は大変立派です。」
と褒めずにはいられない、そんな懇談の時間だった。