当塾の集団授業と個別授業
- shinpujyuku
- 4月2日
- 読了時間: 4分
個別授業と集団授業にはそれぞれのメリットがある。
(メリット同士には重なる点もある。)
個別授業
・課題や授業のレベルが個々人の能力に合っている。-①
・授業中でも自分のわからないところを気兼ねなく質問したり、勉強についての発言を自由にできる環境である。(先生⇔生徒間の双方向の授業である。)-②
・授業日やテキストなどを自分で決められる。-③
・他の子の存在を気にしなくてよい。(「他の子に『自分ができていない。』と思われるのが嫌だ。」「自分の方が勉強を見てもらっている時間が少ない!」などの不満が出なくて済む。)-④
集団授業
・先生自身がもっとも良いと考えるカリキュラムに沿った授業を受けられる。-⑤
・他の子と一緒に授業を受けることで自他の学力の差異を認識し、競争心が芽生える。-⑥
また、集団授業の性質は多人数制or少人数制でも大きく異なる。
多人数制
・多くの人に同じ内容の授業をおこなうことで”最大多数の最大幸福”が実現できる。
(ここでは「同じ時間の授業でできるだけ多くの人に新しい知識を身につけてもらえる。」という意味である。)
しかし「良質な授業を一人でも多くの人に届けたい!」というのは生徒からすればどうでも良い話であり、「時間単価を高くしたい!」という営利的な裏面が見え隠れする。いずれをとっても塾側のエゴでしかなく、多人数制の集団授業というものは自分の発想にはない。
少人数制
・授業内外を問わず一人ひとりの勉強に目が行き届く。-⑦
・人数が少ないので発言しやすい。-⑧
「一人ひとりの勉強をより良いものにしたい!」という観点から言えば、間違いなくこちらが理想的である。
さて、以上が各授業形態のメリットだが、開塾時に「少人数制の集団授業のメリット(⑤~⑧)に個別授業のメリットもあわせ持つような授業はできないものか。」と欲張った結果、当塾オリジナルの少人数制集団授業を考案しスタートした。
今どき少人数制の塾もぜんぜん珍しくないが、当塾の少人数制は一味も二味も違う。
当塾の集団授業は上記の⑤~⑧に加え、個別授業のメリットである
・次回までの課題を一人ひとりが決める。-①´
・一人ひとりの解答をチェックしたり、発言を求めたりして、「全員が本当に理解できているか。」というところにスポットライトを当てる。-②´
の2点を兼ね備えている。
①´ 今までの記事にも書いているように、「一人ひとりの理解度や能力は違う」という大前提のもと、同じレベル・分量の課題を一律に出しても効果は薄い。また、「課題を出される」というのは受け身の行為であって、勉強への主体性を育むこともできない。
一人ひとりが課題を決め、それをこなすことで主体性や計画性が培われる。
また、丸付け・添削はこちらがすべておこなう。
こちらの仕事量は段違いに増えるが、「一人ひとりの理解度を高める」目的で開塾以来ずっと続けてきたことである。
②´ ②に書いた「先生⇔生徒間の双方向性」は非常に重要である。①´にも書いたが、勉強は受け身であってはならない。みずから進んでやること(欲を言えば、その動機が「勉強大好き!」であればこの上ない。)が大切で、それが長く、深く勉強と付き合う秘訣だと考える。
しかし、そんな当塾オリジナルの集団授業にも限界はある。
・授業のレベルを自分だけに合わせてほしい。-①´´
・授業日や使用するテキストを自分で決めたい。-③´
・自分一人で授業を受けたい。-④
集団授業だとこれらのご要望にはどうしても対応できないので、そういうお子さんは個別授業で見させてもらっている。
ちなみに、先生:生徒=1:2や1:3の授業を個別授業だと称する塾が巷にあふれているが、少なくとも④を満たしていない時点でそれは個別授業の体(てい)をなしていないと言える。
ただしきょうだい間であれば「僕/私の方が見てもらっている時間が少ない!」というご不満も出にくいので、「ごきょうだいであれば1つの個別授業を一緒に受けてもらっても良いですよ。」というきまりが存在する。これも当塾のオリジナルだ。
それでも
・きょうだい間とは言え、1:1の個別授業と比べると一人当たりが見てもらえる時間はどうしても少なくなる。
というデメリットは紛れもなく存在するし、
・家計へのご負担を軽減したい。
という思いから、「ごきょうだいで同時に1つの個別授業を受講されても頂戴する授業料は変わらない。」としている。個別授業は毎年すぐに枠がなくなってしまう。
ここで勉強してくれているすべての生徒に満足してもらうべく、これからも変わらず個別授業と少人数制の集団授業を提供し続けていきたい。