解けない問題
- shinpujyuku
- 2023年6月21日
- 読了時間: 2分
塾の生徒たちは日々、さまざまなテキスト・プリントを持参して、「この問題を教えてください。」と言ってくる。
その問題のレベル・種類は本当に多岐にわたる。
パズル感覚のひらめきを必要とする算数の時もあれば、数式をどんどん変形していくゴリゴリの数Ⅲの時もある。
以前「生徒をあまり褒めないことが自分の最大の欠点である。」と書いたが、別の欠点として「事前準備をしない。」ことが挙げられる。
それは「教室をきれいにしておかない。」だとか、「授業の流れを決めておかない。」ということではなく、常に「一つ一つの問題とその場で真っ向勝負をする。」ということである。
ある問題と相対した時、僕がどういう思考回路でその問題を解き進めるかということを感じ取って欲しい、というのが最大の理由である。
それがしばしば模範解答と違うことが多いのは、生徒たちが実感してくれていると思う。
僕は模範解答がもっとも良い答えだとは思わないし、僕自身が一人ひとりの生徒にもっとも合うと思う方法を示してあげることが責務だと思っている。
初めから答えありきなのに、まるで「スラスラと模範解答通りに説明することができました。」ということの、いかにむなしいことか。
そこに算数・数学への愛や喜びはあるのだろうか。
では、なぜそれを自分の欠点だと感じることがあるかと言えば、二、三ヶ月に一度くらい、その場でパッと解けない、あるいは良い説明が浮かばない問題があるのだ。
なんとも情けない話である。
そんな時は、本当に落ち込む。
自分の不甲斐なさと、生徒たちを満足させてあげられなかったことへの申し訳なさが故である。
内心では1、2日~1週間くらい引きずることもあり、起きている時だけではなく、その問題が夢の中に出てくることがあるのだ。
教室の机に座らされ、ペーパーテストにその問題が出てくる。
今まで10回くらいはその夢は見ており、夢の中で解き方がひらめいた経験が2度ほどある。
嘘のような本当の話で、生徒たちもこの話には関心を示してくれるが、それくらいの熱情で、あらゆる問題と日々相対しているということである。