勉強大好き!①
- shinpujyuku
- 2025年8月3日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年8月16日
"魔"の8月が始まった。
無論「忙しすぎる」という意味においてである。
1日より朝9時に教室を開き、22時30分に閉めるという生活が始まった。
教室を閉めた後に教室の清掃をし、粗食を摂り、それから報告書や教材の作成に取り掛かるのが常だが、まさか8月1日早々食事を摂りながら寝落ちしてしまうとは思ってもみなかった。
そして2日も同じように寝落ちした。
そういう意味で先が思いやられる。
当塾は最初「地域の学び舎」を謳っていた。
というのも「この近隣に学習塾がなく、地元の小中高生にとって勉強しやすい空間を作れたら。」と考えたからである。
しかし後からできた塾が次々と「地域密着型」を謳い、その「地域の学び舎」という言葉の重みが僕の中でどんどん薄らいでいった。
この塾ならではのアイデンティティとは何だろう。
そう考えた時、真っ先に思い浮かんだのが「勉強大好き!」である。
幼少期より日々そろばんと英語に親しんだことで、物心ついた時にはすでに勉強が生活の一部、娯楽の1つとなっていた。
何の苦痛も感じないどころか、暇さえあれば自分で算数の問題や定理を考え、ノートにまとめることを非常に好んだ。
「勉強は誰かにさせられるものではない。
みずから進んでするものである。」
この価値観は幼少期に育まれたものだろう。
しかし、決してすべての勉強が好きだったわけではない。
あくまで自分から進んでする勉強が好きなのであって、学校や塾で出される課題に取り組むのは大嫌いだった。
では今僕が"教える側"の人間になって、生徒たちに一律決められた分量・レベルの課題を出すことは正しいのだろうか。
いや、それは違う。
自分が嫌いなこと/できないことを他の人に押し付けるべきではない。
そうして思い至ったのが、「生徒たちが自分で課題を決める」というルールである。
そんなルールなしでもみんなが「勉強大好き!」と言って各自勉強に取り組んでくれるのであれば、塾の存在価値は「良質な授業を受けられる」程度にとどまるだろう。
しかし入塾してくる生徒たちの中にそんな子はまずいない。
だとすれば、自分に見合う課題の量・レベルを決めてもらうことで、少しでも「自分から進んでする勉強」に取り組めるのではないか。
そうして少しずつ「勉強大好き!」に近付いていってほしい、という願いを込めて当塾のスローガンとした。
つい先月、奈良県下の公立高校で、中学校の成績表に対する取り扱いが突然変更された。
多くの高校が「中学1・2年生の間の得点はどうでもいいです。主体的に学習していたかどうかしか見ませんよ。」というのである。
「テストでいくら点数が取れてもふだんのやる気しか評価されない。」ということに、前回の懇談では多くの保護者様から動揺や不満の声が聞かれた。
そういう自主的な勉強が重んじられる時代。
僕は奈良県よりも早くから目をつけていたことに密かに胸を張っている。
近い未来、当塾のやり方がまた他の塾に模倣されるかもしれないので、控え目ながらもここに「主体的な勉強」の起源を主張しておきたい。