勉強大好き!②
- shinpujyuku
- 2025年9月21日
- 読了時間: 4分
更新日:2025年10月5日
僕は勉強が大好きだ。
これは以前の記事でも述べている。
今回は少し自分語りにお付き合いいただきたい。
物心ついた時からずっと算数・数学の問題を解いてきた。
小学生時代は算数の難しい問題を解くだけでなく、いろいろな定理を証明したり、問題を作ったりすることが好きだった。
中・高生になると算数が数学に変わったが、相変わらず毎日貪るように問題を解いていた。
そして教え始めてから早20年、生徒達が持ってくる問題をアドリブで解く日々である。
授業用ノートなんて要らない。
初めてその問題に直面する時、その問題は自分にとって新鮮であり、ある意味では生物(なまもの)だと言える。
だからその場で調理するに限る。
その際の戸惑いや興奮は他では味わえない。
ある時には間違った方向に行きかけてハッと気付き、正しい道筋(解法)に戻ってくる。
僕がその問題を調理する際に醸し出す空気感にじかに触れてもらうことで、生徒たちには
「算数・数学ってこんなに楽しいんだ。」
ということに気付いてもらいたいのだ。
小学校時代から今まで早30年、一体何問解いてきたのかを計算してみる。
計算問題や簡単な問題を除いて平均週100問だとして、100問×52週×30=156,000問。
一朝一夕では達成し得ない、自分でも驚くべき数字である。
よく生徒たちに「問題が話し掛けてくるんだよ。」と話す。
これは何ら嘘ではない。
問題を見た途端に、問題が「こういう風に解いてほしい。」と語り掛けてくるのだ。
なかなか理解してもらえないのだが、おそらくこれだけの問題数を解いてきたからこそ、この境地に達することができているのだと思う。
そしてあらゆる問題をアドリブで解く授業を続けられているのも、この経験値があってのことだろう。
しかし時としてどうしても解けない問題に出くわすことがある。
年に1,2回くらいだろうか。
そんな時はその生徒に謝り、「次回説明するね。」と言う。
答えは決して見ない。
答えありきで説明することは絶対に嫌なのだ。
夜、塾を閉めてからもその問題のことをずっと考える。
そして挙句の果て、夢の中にもその問題が出てくる。
机の上にその問題だけが書かれた用紙が載っていて、自分は椅子に座ってその問題と対峙している。
これが一度や二度ではない。
今まで十回以上はそういう夢を見ている。
そして夢の中で解けたことが二度もあるのだ。
(この話も生徒たちに喜ばれる。)
しかしそれを誇りたいわけではなく、自分が納得できる答えが出るまで、一つひとつの問題に対してそれほど没入する。
それが僕という人間である。
ただしそんな自分の習慣や好みを人に押し付けようとは思わない。
「こんなにたくさん解いたんだぞ。」「こんな問題も解けるんだぞ。」なんて自慢しようとも思わない。
そういうことは大嫌いである。
勉強はマウントをとるためのものではない。
ただ自分の中で喜びを噛み締めるためのものである。
これは僕の中でのポリシーだ。
USJにも東京ディズニーランドにも行ったことはないし、わざわざ行きたいとも思わない。
これも生徒たちに驚かれる話の1つである。
そんなことをしているくらいなら、1問でも多く算数や数学の問題を解いている方がよほど楽しい。
しかし、だからといってUSJや東京ディズニーランドを否定するつもりはない。
行ったことがないからその楽しさがわからないだけかもしれないからである。
死ぬまでに一度くらいはプーさんと握手をしてみたいものだ。
以前Isaac Newtonの詩が一番のお気に入りであるという記事を書いた。
「自分は海岸で少しなめらかな小石や少しかわいらしい貝殻を見つけて楽しんでいる少年である。」
自分にとっての少しなめらかな小石や少しかわいらしい貝殻は おもしろい/美しい算数・数学の問題 である。
そして、それらに夢中になるがあまり、目の前に真理の大海(=人生にとってより大切なもの)があることに気が付かない。
しかし今が幸せなのであれば、あえてその真理に気が付かない人生があっても良いのではないのだろうか。
おもしろいことに、私立大学を志望する当塾の高校生たちは文系でも国語ではなく、英語と数学を使って受験する子が多い。
また、教育学部に行く場合は数学の教師を目指す生徒が多いのも特徴だ。
この塾で勉強する期間の長さに比例して、算数・数学が「楽しい。」「得意。」「大好き!」と思える子がじわじわと増えていくのがこの上なく喜ばしい。