勉強大好き!③
- shinpujyuku
- 3月23日
- 読了時間: 4分
更新日:3 日前
「勉強大好き!」
この言葉に偽りはない。
物心ついた頃には、すでにそろばんに触れていた。
英語も浴びるように学んでいた。
小学生の頃は、算数の公式を自分で導くのが好きだった。
また、問題を自分で作ることにも楽しさを感じていた。
発見や創作に喜びを感じていた。
問題も数えきれないほど解いていた。
太宰治や夏目漱石の作品に夢中になり、自分でも詩や小説、俳句や短歌を書いていた。
中学生になると、数学の問題を解きあさり、英単語をひたすら暗記した。
高校生になると、日本史・世界史を十冊以上のノートにまとめ、膨大な知識を頭に詰め込んだ。
大学生になってから、文学作品を書くことはなくなった。
それでも、今なお算数や数学の問題を解き、英文を読み続けている。
この習慣は毎日欠かさない。
ただ、英語や数学の真理に達したとは到底思っていない。
同じ問題でも、別の解き方に気付く瞬間がある。
そうした発見が日々の学びの中にある。
その感動を生徒たちとも共有している。
これまでに、何百人、いや千人以上の生徒と向き合ってきた。
人それぞれ、好きなものは違う。
同じ人間は一人としていない。
何に価値を感じるかは、経験や環境によって大きく変わる。
スポーツに没頭する子どもたちがいる。
とても素晴らしいと思う。
スポーツにも、勉強と同じように価値がある。
どちらが上という話ではない。
勉強をせず、ひたすらスポーツに打ち込む。
それもまた一つの人生である。
一方で、遊びに夢中になる子どもたちもいる。
家でゲームをしたり、外で友だちと遊んだりする。
それが勉強のモチベーションになることもある。
「遊んでばかりの人生はいけない」と外野から言う人もいる。
しかし、本当にそうだろうか。
人生は、その人自身のものだ。
親御さんがわが子の将来を案じるのは自然だ。
しかし、第三者がとやかく言うものじゃない。
遊びが人生を豊かにすることもある。
だからこそ、遊びを無意味だと思わない。
僕の場合、勉強が好きだった。
それだけのことだ。
一日でも触れないとムズムズする。
塾が休みの日でも、英検1級の英単語を必ず見直す。
ただ好きなことを続けてきたことが、今につながっている。
小学生の頃からの夢だった塾の先生になり、今も勉強を楽しみながら生きている。
だからこそ、自分が他の人よりも立派だと思ったことはない。
そこに奢りもない。
勉強が好きでもないのに、将来のために努力を続ける生徒たちの姿を見ると、強い意志を感じる。
「どうして嫌いなことにそこまで打ち込めるんだろう」
と感心せざるを得ない。
また長時間にわたって無理に勉強を強いられている話を聞くと、
「それは本当に本人たちの意思なの?」
と首をかしげたくなる。
僕は、経営者というより、どこまでいっても勉強が好きな一人の人間だ。
僕にとって勉強とは、人生そのものである。
子どもたちも、それぞれ自分の人生を生きている。
自分のしたいことをする。
自分で決めたことをする。
そうでなければ、やる気は生まれにくい。
それはごく自然なことだと思う。
ただ、子どもたちに将来の夢がある場合は話が変わる。
「この高校に行きたい」
「この大学に進みたい」
「こういう仕事に就きたい」
そのために「これだけ勉強しよう」と自分で決める。
それでも途中で気持ちが揺れ、結局スポーツや遊びに逃げてしまう。
その姿を見ると、「それは本当に叶えたい夢なの?」と思ってしまう。
違うのであれば、無理に勉強する必要はない。
本気で叶えたいなら、勉強する。
それだけだ。
「勉強大好き!」
結局はここに行きつく。
「将来明確な夢があります」
たしかに勉強の大きなモチベになるだろう。
しかし、心から勉強そのものをを好きになれた時、それこそより自然で強い原動力になるのではないか。
勉強が好きな人間の考え方や姿勢に触れる機会が増えれば、見える景色も変わる。
そして、勉強そのものを好きになるきっかけになるかもしれない。
子どもたちが自分なりに納得しながら学び、やがて「勉強大好き!」と言えるようになる。
そんな日が来ることを、心から願っている。