見過ぎていた(New!)
- shinpujyuku
- 5 日前
- 読了時間: 3分
僕は昔から、人の悩みを聞くと、その先の因果関係が見えてしまうタイプだった。相手が何かを相談してくると、「その選択をしたらどうなるか」「本当の原因は何か」「もっと良い解決策はないか」を考え始める。塾講師になってからは、その傾向がさらに強くなった。
生徒が「宿題がしんどい」と言えば、「宿題を減らした結果、学力はどうなるのか」を考える。生徒が「もう無理です」と言えば、「本当に無理なのか、それともやり方の問題なのか」を考える。職業病と言えば職業病なのだろう。僕は昔から、目の前の問題よりも、その先の未来に興味があった。
MBTIで言えばINTJらしい。もちろんMBTIがすべてではない。ただ、「まず構造を見る」「感情より因果関係を見る」という傾向については、妙に納得感がある。相手の話を聞きながら、頭の中では常に「なぜそうなったのか」「どうすれば解決するのか」を考えている。だから会話のスピードも速い。相手が悩みを話し終える前に、次の展開が見えてしまうこともある。
僕は長い間、それを長所だと思っていた。実際、長所でもある。塾講師という仕事は、生徒本人より先に未来を見なければならない。本人は気付いていない課題を見つける必要がある。目先の楽さより、半年後や一年後を考えなければならない。だから、「その選択をしたらどうなるか」を考える癖は武器になる。
しかし最近、一つ気付いたことがある。僕は相手の話を聞いていなかったわけではない。むしろかなり聞いている。相手が何に困っているのかも見えている。問題はそこではなかった。
問題は、理解した瞬間に、その先へ飛んでしまうことだった。
例えば相手が「しんどい」と言う。僕はその言葉を聞いていないわけではない。聞いている。理解もしている。しかし次の瞬間には、「なぜしんどいのか」「どうすれば解決するのか」へ思考が移っている。だから、「しんどいんやな」という言葉が抜け落ちる。
頭の中では理解している。しかし相手から見れば、それは存在しないのと同じである。僕はこの当たり前の事実を、長い間見落としていた。
面白いことに、僕は共感が苦手だ。勉強が好きだからだと思う。生徒が「勉強しんどい」と言っても、心の底から「分かる」とはならない。なぜなら、僕自身は勉強が好きだからだ。だから無理に共感しようとすると、どこか芝居っぽくなる。それも嫌だった。
そこで気付いた。別に同じ感情になる必要はない。無理に共感する必要もない。大事なのは、「相手がそう感じている」という事実を認識し、それを言葉にすることなのだ。
今思えば、僕は生徒のことを見ていなかったのではない。むしろ見過ぎていたのかもしれない。目の前の悩みから、その先の未来まで見ようとするあまり、目の前にいる本人への言葉を省略していた。
理解していることと、理解していることが伝わることは違う。当たり前のことなのに、僕は長い間その違いを見落としていた。
それでも、そのことに気付けたのは大きな収穫だった。次に誰かが悩みを話してくれた時、僕は以前よりほんの少しだけ、相手の現在地を確認してから話せる気がする。
